タヂマキネマ

沖縄で人間の性-セイ-と性-サガ-を表現しながら古今東西をフラフラ生きてるFTMの人性劇場

自分が性別違和(性同一性障害)で良かったこと

自分がFTMで良かったこと…

 

 (※FTM…女から男になりたい性同一性障害の人)

 

 

それは一体何なのか

 

 

 

そういうことをたまに考えるのだ

 

 

 

様々な人との出会い

 

マイノリティの人の気持ちや現状の問題

 

世の中が当たり前だと思っていることに、疑問を抱くようになれたこと

 

 

それらを知ることになれたり、気付くことができたのは大きいし、

全てを宝物のように大切にしていきたいことだ

 

 

 

 

しかし、それよりも自分自身が我が身を以って実感していることがある

 

 

 

 

それは…

 

 

 

 

タフになれたこと

 

 

僕は本当に弱い人間だった

 

誰かと接すれば自分が傷つくと思い込んでいたから、周囲を遮断していたし、

ずっとふさぎこんでいたし、

今だってなかなか人と深い仲になれない

 

 

それが少々辛い目にあっても、へこたれなくなった

 

 

むしろ中途半端な状態は、自分を堕落させることになるはずだ

 

 

自分は人より辛い思いをしていたと思い込んでいたけど、

逆に、今の自分はまだまだぬるま湯に浸かっていて、

まさに中途半端な生き方が現れたソレだって思うようになった

 

 

それに、人と深い関係になれなくても、それは自分自身に魅力がないんじゃなくて、

自分が元々こうだから仕方がないって割り切れるようになった

 

 

 

そのおかげで、少々世間からの風当たりが強くても、

「は?なめんな」くらいには思えるようになったし、

 

 

ネット上で自分と全く異なる意見を目にしても、

「この人はこういう考えなのか」とフラットに見れるようになった

 

 

 

もし自分がFTMじゃなかったら…と思うと、

逆に恐ろしい気持ちになってくるようになった

 

 

世の中に疲れ、

繊細で貧弱な自分にあきれ果て、

自分の将来と、こんな下らない世界に悲観し、

自らこの世からオサラバすることになったはずだ

 

 

そう思うと、多少生きにくくてもFTMで良かったなって思うし、

もし同じような悩みを抱えている人がいれば、

その力になりたいとさえ思えるようになった

 

 

"ハンデ"は自分を邪魔するものじゃない

 

 

ただ自分が不利になる足枷じゃない

 

 

本来、何かゲームや今日ぎをする際に弱者や初心者に対して強者や経験者には負担が課せられることが多い

 

それでも、ハンデを課せらた者は全力で勝負しなくてはならない

 

そうしなければ、相手に失礼になるからだ

 

 

その意味と同じように、

"ハンデ"があるからこそ自分は常に強く、常にニュートラルである必要があるのだ

 

 

そうしなければ、そうやって全力で生きなければ、

自分の命に対して失礼になるからである

 

 

むしろ、"ハンデ"は自分を生かせる糧になるのだ

 

 

 

それに心から気づけた時に、

 

人生はちょっとでも輝いて見えるようになるのかな

 

 

 

 

でもなんだかんだ言ってとりあえず

うまいもん食えればそれでいいや(笑)

 

すき焼き食っただけで、それだけで生きててよかったなって思えるもんね

 

 

ゆた