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タヂマキネマ

沖縄で人間の性-セイ-と性-サガ-を表現しながら古今東西をフラフラ生きてるFTMの人性劇場

中途半端にわかったようなフリされるくらいなら突き放された方がマシ

「あなたのメンタルは理解してるつもり」

 

そんな言葉を言われたことがあります。

 

 

正直のところ僕にはこの言葉の意味が全くわかりませんでした。

 

 

というか、今でもわからないし、怒りさえ覚える。

 

この人はこんな言葉を言いながらも、僕が嫌がるようなことをしてきたし、その行為自体は悪気なかったとしても、その言葉の奥に潜む自己中心的な「邪念」を僕は感じ取ってしまった。

 

僕はそういうの鋭く見抜く人間だから、己の審美眼や直感に間違いは無いと思う。

 

 

それに、本人じゃない限り、その人の本当のことなんて誰もわからないと思う。

 

たとえ、ブログのような文章でも作品でも、人に見せてるのは表面的なものに過ぎない。

 

 

人間は全ての人々の文化や好み、ジェンダー観を含め、他の立場にいる人間を受け入れることはできても、完全に理解できるかといえばやはりそれは難しいと思う。

 

 

例えば僕にだって身体障害者の方の気持ち全てを完全に理解するのは困難だと思う。

生活していてどれくらいの辛さや不便さがあるかを想像するかはできるかもしれないけどね。

 

でも実際僕が不自由を感じるようになったら、そういう立場の人のことが痛いくらいにわかるんだろうなって思う。

 

だから、自分と違う立場の人を知ること自体に興味はあるんだけど、完全に理解できるかどうかはまた別の話だと思うし、無責任に優しい言葉を使うべきじゃないとさえ思うようにもなってきた。

 

 

それに、ジェンダーフリーな社会になってきたとはいえ、僕ら性別違和や性同一性障害セクシャルマイノリティのことも、当事者じゃない人から見れば理解できない部分が多々あるのはまた仕方のないことなのかもしれない。

 

だからと言っていじめや差別をしていいってことは決してないし、それは弱い自分を正当化するだけの言い訳に過ぎないけど。

 

 

ただ、一つ言えることは、結局皆歩み寄るフリして基本的には自分のことしか考えていないわけだから、中途半端に同情されるくらいだったらいっその事「全く理解できない」「興味ない」って突き放された方がまだマシだと思うようにもなった。

 

むしろその方が自分に正直で、まだ人間らしい気がするのだ。

 

 

それに、「いやあんた俺のこと全く理解してないだろ(笑)」って思うような人から

 

「理解してるよ」とか

 

「あなたのことは何でも知ってるよ」とか

 

そんな行動が伴わない言葉を投げかけられた時の嫌悪感はこのうえないしね。

 

 

正しく理解されていないのに、わかったような顔はするもんじゃないし、自分も気をつけないとなって思う。

 

 

本当の意味で相手を理解したいんだったら、相手を知りたいと思うくらいの関心と自分が傷つくのも恐れずに相手に近づいていく覚悟が必要。

 

 

自分が善人ぶりたい、もしくは被害者ぶりたいだけで、相手の事情や心情は実質的には無視。

 

そんな人間にはなりたくない。

 

 

フラットに世界を見渡して

他人と程よい距離感を保って

他者の立場や気持ちを想像して

多くのことを受け入れることができる

 

そんな人間になりたいと思った。

 

 

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ちなみに「受け容れる」と「好き嫌い」は全く別の問題だからね。

 

 

 

 

ゆた