タヂマキネマ

沖縄で人間の性-セイ-と性-サガ-を表現しながら古今東西をフラフラ生きてるFTMの人性劇場

「あの人は哀れな人」と思った自分が「実は一番哀れ」という哀れな現実

人として最低限のことができない、

人が嫌がることを平気でする

自分のことばかりしか考えていなくて人を傷つける

 

 

そんな人を見るたびに

「その人は不幸なんだから、かわいそうな人だと思え」

と言う言葉をよく耳にする

 

 

でもある意味それって負け惜しみにも聞こえる

 

 

なぜならば、その言葉には

「本当は自分もそうしたいのに、外面が気になってできない」

とか

「周囲を顧みずそんなことができるなんて羨ましい」

とか

「自分だって子供のようにワガママ言いたいよ」

とか

「本当は自分だって人が嫌がることをしてその反応を見て楽しみたい」

とか

 

 

そんな「"ヒト"という"動物"として自分の性に従って生きることができない自分」を認めているようなニュアンスを含んでいるような気がしてならないからだ

 

 

要するに、それを思ってしまった時点でその哀れな人と同類であることを認めざるを得ないことになる

 

 

僕だって先日頭のおかしいおばさんを相手にして「哀れだ」と思ってしまった

 

でもそう思った自分だって、もしかしたら奴と同様に「哀れ」なのかもしれない

 

 そう思ってしまったらなんだか嫌だった

 

 

じゃあどんな風に思えばいいかって?

 

 

 

自分とは全く別の人種だと思うようにする空気のように、無に等しい存在だと思うようにする

 

同じ人間ではない、火星人だか節足動物かは知らないが別の何かだと思うようにする

 

 

相手のことを見てもただひたすら「へー」とか「ふーん」とか

そのように思うことにする

 

 

犬が道端でう●こしたって

猫がひっかいてきたって

それで彼らに対して苦手意識を持ってしまうことがあったとしても、

動物としての一種の現象である限りは「そういうものだ」と致し方ないと思うことだってあるでしょう

 

 

普段人と接していても、日本人に対して許せないことも、外国人ならば許せるということもあるでしょう

 

 

それと同じで、

 

そういうものなんだ

全く違う別の生き物なんだ

 

 

っていう認識があれば、理解できなくてもさほど苦しまなくて済むはずだ

 

 

これが単純なようでいて実に難しい

 

 

まぁ…それが簡単にできるようになれば苦労しないけどね

 

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川の流れに身を任せるように

どんなことにも容易く反応しないように

日々訓練しなければ

 

 

 

ゆた